風が吹けば桶屋が儲かる的に、甘えが下手だと不倫になる。

風が吹けば桶屋が儲かる ということわざがあります。

コトバンクによると

意外なところに影響が出ること、また、あてにならない期待をすることのたとえ。風が吹くと土ぼこりがたって目に入り盲人が増える。盲人は三味線で生計を立てようとするから、三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える。猫が減るとねずみが増え、ねずみが桶をかじるから桶屋がもうかって喜ぶということ。大風が吹けば桶屋が喜ぶ。

ということです。

甘え方一つで人生が変わってしまう。

甘え方が下手だと、捨てられて、寂しい人が増える。
寂しい人は、何とかしようとするから、恋愛需要が上がる。
恋愛はするけど満たされないので、満たしてくれる相手を探す。
満たしてくれる相手を探す時にスペック重視になってしまって、気持ちは我慢を抱える。
結果として、都合の恋愛、我慢の恋愛、我慢の結婚が増える。そして、不倫が増える。

強ちないとも言えない話です。

実際、多くの家庭の不満を聞いていると、女性の寂しさは物凄いものがあります。

でも、それは、女性が我慢してしまったり、上手に甘えられないところから、自ら招いた結果であるとも言えます。

人は呼吸するようにコミュニケーションする。

変な話に聞こえるかもしれませんが、甘え上手な女性は存在します。対して深い関係でもないのに、大事にされて優遇されている人です。本人は自然とそれをやっていますので、特別な意識はしていません。でも、その態度を取られると、周りの人は許してしまったり、協力するようになって、物事がうまく進みます。

逆に、いつも一人で頑張って、うまく行ったり行かなかったりする人は他人の力を引き出すことが上手ではなく、自分の気持ちを相手に伝えることも苦手な場合が多いです。

自分を開示してくれない人に、相手は気持ちを開いてくれるでしょうか?

超レアケースを除いて、そんなことはありません。人には変法制のルールがあり、先に何かしてもらうと答えたくなってしまうものです。頭で考えてされるとちょっと嫌な気持ちもしますが、自然にやってくれれば、特別なトラウマがない限り受け入れられて、いいコミュニケーションになります。

そう、コミュニケーションは自発的にナチュラルにできる人の方が上手です。応じてあげたいと思うものです。

無垢な赤ちゃんに何かしてあげたいと思うのと同じです。

なぜ、うまくコミュニケーションできないのか?

ほとんどのケースで、うまくコミュニケーションできない人は、きちんとできているかを気にしたり、相手に不快な思いをさせていないか、自分がまともに見られているか?など、思考的に自分の行動を見ています。そうすると、相手からして、自分に意識を向けてくれていない状態でのコミュニケーションですから、距離や隔たりを感じます。

相手の中で、自分は重要な人、向き合うべき人ではないのだと、肌でわかります。無意識の感覚ですが、それではコミュニケーションは深くなりません。

甘え方が上手になれば自然とコミュニケーションは上手になる。

関わりの根幹のところで、相手を必要とし自分を任せるができると、相手は引き受けてくれることが多くなります。特に密な関係でそれは起こりますし、自分を引き受けてくれる人はとても大切な人になりやすいです。

それができないと、都合の恋愛、誰でも良くて要件を満たす人と一緒にいることになり、いい恋愛になりません。いい恋愛を経験しないまま結婚してしまうと、浮気のハードルは低くなり、不倫になりやすくなります。

早い段階で、甘えるということを覚えられた人は、いい人間関係を作れるの幸せになりやすいです。それができていない人は、自分をディスり、他人をディスり、不満の多いまま生きていくことになります。ボタンの掛け違えみたいな物なので、早い段階で直したほうが幸せには向かいます。

自分嫌いな人は、倫理観、道徳感がしっかりしていない場合も多く、場凌ぎの快楽に流されがちです。

甘えではなくタカリ 、その理由を考えてみる。

甘えではなくタカリ

甘えではなくタカリ

甘えではなくタカリ とは? 甘えとはコミュニケーションの手段であって、相手に行為や物品を要求することではありません。行為や物品を関係性などを利用して要求する行為はタカリです。

では、甘えとはどういうものなのでしょうか?

甘えではなくタカリ をやめて、甘えは特定の誰かだから価値がある。

甘えは、望んでいるものを満たしてほしいという行為ですが、特定に人に対して特定の気持ちです。それが、特定ではなく、誰でも良くなったらサービスでも買ってろ! ってことになります。

例えば、大事にされたいと思っている人がいて、誰でも? でしょうか?? みんなに大事にされたいとかいうかもしれませんが、それは視野が狭い時にそう思います。気持ち悪い人嫌な人にも大事にされたいでしょうか? 答えはNoですよね? 気づいていない時は全部って言いますが、気づけば選別が始まります。

大事にされたい誰かはある程度決まっていて、顔の見えない人は、きっと、どうでもいい人。
親や兄弟などの身内や、好きな人、パートナー、身近な人に大事にされていれば大抵はOKでしょう。

それが叶わないと補填に走って、変な人間関係を組み始めます。

甘えではなくタカリ になるのは、何かをくださいとかは、分かりやすいです。

何かは特定のものでもそうですし、不特定なものでもそうです。そういった何かをもらうことで、自分にはそれをもらえるだけの価値があると考えてしまいがち。そんなことしていたら、嫌われますよね? あげる側としては、それをしっかり使って形になってくれると嬉しいですが、クローゼットで埃を被り、処分に困り数年経つなんていうのは、あげた意味すら消失していますし、もらうときだけ調子良くて、あとは何もしない人とかありがちです。

これは物が欲しいのではなく、その扱いが欲しいだけです。タカリといえばタカリですから、これも嫌われます。結果につながらない人間関係は疎になりがちです。だんだん連絡もしづらくなって、別の甘え先を探す羽目になります。目をかけてくれた方からの記憶からも消えていきます。

甘えではなくタカリ をやめて、きちんと甘える。

きちんと甘えることは、精神的な部分を多分に含んでいて、許されます。甘える側も一生懸命やっていて、それを見ている甘えを容認する側も、それならばと思って甘えさせているわけです。だから、きちんと結果を出す。無茶な要求をしないことは大事です。

パソコンが買いたくて一生懸命バイトしてお金貯めたけど、ちょっと足りないところを親が援助してくれたなんていうのは、甘えがきちんとできています。

子供のゲーム買ってはまだ働けないから仕方ないけど、親の言うことを聞いたり、お手伝いをして望みを通すなんてことをします(その場限りが多いですけどね)。

自分も頑張る、それを手伝いたいだったら、きちんとコミュニケーションになっています。

自分は頑張らない、全部なんとかして欲しいって言う人が増えていますが、それはタカリです。

タカリ を止めるためには?

そうは言っても、タカリたい人はたくさんいます。自分は傷つきたくない、失敗したくない、お金も払いたくないって言う人たちですね。自分のことばかり考えているから人を助けたりするよりも、自分が助かりたいと考えています。こう言う人たちは、必要な物で無料でなければ対価を払う感じだと思います。

逆に、役に立たないと価値がないと言う人たちは、身を粉にして働きます。認められてナンボ、役に立ってナンボって言う生き方です。タカリ自体はあまりしないし、むしろ労力を提供したり、身銭を切ってくれますが、コミュニケーションにはなっていません。タカリの対極ではありますが、これも同じ問題を抱えています。

タカリ に足りていないものは?

タカリをしている人は、ちょっとした特別感が欲しいなんて人もいます。自分で拒絶しておいて、それでも大事にして欲しいなんて。よく、恋愛で相手を逃す人がやっている、相手を試す行為と同じです。安心がない人は、相手を疑い、遠ざけ、鞭(無知)で叩き、それでも大事にしてくれるのか? なんてことを試しますが、離れる人の方が多いはずです。

そんなことをしたら、あとで追いかけて縋っても、相手にはされません。相手の認識の中では最悪の人とセットされていますので、接触がないのにこれが払拭されるなんて言うことはまずないです。

足りていないものは・・・

足りていないものは、自分自身への信頼、自信、愛です。自分をそのまま受け入れると言うことができずに、いつも自分を批判してダメだと平気で言っています。それでは、他人から大事にされることはありません。

甘えではなくタカリ をやめて幸せになるには?

自分を信頼して、自信を持ち、愛することです。言葉で書くと上滑りしますが、その実感を得るためには、きちんとした甘えができることが前提です。